イライラママ改善ラボ マヒナポエポエ
代表 大澤晴香(おおさわはるか)
機能不全家族だった私が保育士になった理由
JLCA認定伝え方インストラクター・職場改善コンサルタント
自慈心コーチ(メンタルコーチ)
インナーチャイルドセラピスト
子育て心理学カウンセラー
保育士
子育て支援員
放課後児童支援員
幼稚園教諭一種
ペアレントプログラムリーダー
美腸プランナー など
「自慈愛ママ(自分を愛し、子どもを慈しむママ)は子育ても人生もハッピー!」をコンセプト
に子育ての悩みもママの生きづらさも同時に解決するお手伝いをしています。
生い立ち
大学卒業までは千葉県で育ちました。
高校3年間ウエイトリフティング部(重量挙げ)に入るなど明るく活発な性格です。
複雑な生い立ちの父と面前DV(家族の前で配偶者に暴力を振るう)で育った母の次女として、
喜怒哀楽の怒哀を押し殺して、「良い子」を演じながら育ちました。
両親は喧嘩ばかりをする仲の悪い夫婦だったので、
私はいつも両親の機嫌を察しながら過ごしていました。
そして、過保護・過干渉の母からは「あなたは心配」という無言のメッセージを
受け取っていました。
感情を押し殺して「良い子」を演じていたストレスが身体に現れてきたのは、18歳の頃でした。
初めは小さな10円玉くらいの『円形脱毛症』でしたが、どんどん大きくなってしまい、
大学時代はウィッグ(かつら)を被って生活することに…鏡を見るのが辛い時期でした。
20歳になると、難病指定の自己免疫疾患『膠原病(こうげんびょう)』と
皮膚が黒くなる『アミロイドーシス』を発症しました。
初めて死を意識しました。
いつ悪化してしまうか分からない不安の中、
健康診断で医師に言われた「長生きできないね」の言葉は今も忘れることが出来ません。
でも、病気のお陰で健康の有難みや探究心が生まれました。
22歳の時、父に怒鳴られて『過呼吸』になり、
それ以降強いストレスがかかると『過呼吸』を起こすようになりました。
そんな体調の悪さとメンタルの弱さを抱えながら、東京家政大学で児童学を学びます。
私立の保育園に就職して、結婚・出産後は保育園を辞めて、パートくらいで・・・
と考えていましたが、両親は「公務員がいい!」と強く願っており、
「良い子」を演じている私は結局公務員になりました。
両親の頻繁な喧嘩や家での居心地の悪さから、
地元の内定を断って、杉並区に保育士として就職しました。
病気と付き合いながらでしたが、
公立の保育士として、中高生のための児童館・学童クラブ・児童館・子育て広場に
トータル18年間勤務し、0~18歳の子と保護者のべ1万人の親子と接してきました。
※児童館とは、0~18歳が自由に遊びに来られる遊び場所です。
※学童クラブとは、両親が共働きの小学生を放課後預かる場所です。
※子育て広場とは、小学校就学前の乳幼児親子(0〜5歳児親子)が自由に遊びに来られる場所です。
24歳になると、『橋本病』『逆流性食道炎』が分かりました。
25歳で結婚しましたが、難病やホルモンバランスも悪いため、
長い間不妊に悩み、高度医療で妊活にも励みました。
でも結果は出ず・・・
気分転換にと母と姉の提案で、私たち夫婦も一緒にハワイ島に旅行へ行きました。
そして奇跡的に、第一子を自然妊娠することが出来ました。
妊活中は、薬が飲めないため、大好きな食事が苦痛になりました。
逆流性食道炎で食べ物が喉に詰まって苦しく、
食事中会話が出来なくなりました。
挫折
奇跡の自然妊娠を経て、待望の子どもを授かることができました。
育休中は、色々な地域の子育て広場や児童館へ行ったり、
講座などに参加して満喫していました。
ついに育休明けの日が来て、新しい施設の立ち上げメンバーとなった私は
とても張り切っていました。
でも、出産前のようには仕事が出来ない中、
新しい仕事内容と新しい人間関係に疲弊していきました。
そこに拍車をかけたのが、パワハラ上司の存在です。
上司は私がやること全てを否定し、認めてくれず、大きな声で毎日叱責しました。
私はストレスで声が出なくなりました。
そんな、余裕のない私は、職場のストレスを家庭に持ち込んでしまいました。
保育園で頑張っている子どもを家庭では穏やかに受け止めて、愛情を注ぎたいと思っているのに、
イライラが抑えられず、イライラを子どもや夫にぶつけていました。
長男は、「ママ嫌い!あっち行って!」とどんどん私から離れていき、
夫にべったりになりました。
今思えば、長男はHSC(人一倍繊細で敏感な気質)なので、
私のイライラを感じ怖かったのだと思います。
不妊に悩みながらやっと授かった子どもなのに、可愛く思えない。
私は保育士なのに…
子育てのプロと名乗っているのに、我が子のことは全然わからない…
うまく子育てが出来ない…
息子は子育ての素人の夫にばかり懐いていて、自分は何も役に立たない人間だ。
と自分責めをして悩む日々でした。
もしかしたら、このまま機能不全家族になってしまうかもしれない・・・
そんな恐怖と不安が湧いてきました。
『このままではいけない。自分が変わらなければ現状は変わらない!
我が子には生きづらさを連鎖させない!もう一度子育ての学びなおしをしよう!』
と自分を奮い立たせて、多くの書籍や講座を受けました。
初めは、無料講座や出しても数千円の講座に参加していました。
その場では、充実した時間を過ごすのですが、なかなか実践に活かすことが出来ませんでした。
性格統計学との出会い
そんな、講座ジプシーの私に転機が訪れたのが、性格統計学との出会いでした。
我が子に合った声かけや対応が、とにかく具体的で分かりやすく、すぐに実践出来たのです。
『これならイライラがなくなるかもしれない!』と確信を持つことが出来たので、
お金のブロックを思い切って手放し、動画視聴で学びを深めていきました。
性格統計学の初級・中級・上級・マスターと資格を取得していくうちに、
我が子との関係が劇的に良くなりました。
「ママ大好き!ギュー」っと抱きついてくるまでに関係が回復したのです。
声かけ一つで動いてくれるので、我が子を叱ることもほぼ無くなり、
ニコニコママに戻ることが出来ました。
我が子だけでなく、夫にも実践したところ、
何も言わなくても積極的に家事や育児をしてくれるようになりました。
職場でも実践したところ、分かり合えないと諦めていたパワハラ上司と
信頼関係を築くことが出来たのです。
この経験を子育てや人間関係で悩んでいるママに伝えたいと思い、
友達や職場(子育て広場)を利用するママたちに伝えていました。
ほとんどの人はストレスが軽減でき、良い変化があったのですが、
何も変化の無い人もちらほら見受けられました。
『こんなに素晴らしいメソッドなのに、何でだろう?』と考えた時に、
メンタルや自己肯定感に関係していることに気づきました。
自慈心との出会い
そこで、メンタルを整える知識を身につけたいと思い、
子育て心理学やインナーチャイルドセラピストを学びました。
そしてたどり着いたのが、科学的に効果が分かっている、自慈心という慈しみの心理学でした。
この自慈心との出会いが私の人生を変えました。
自慈心コーチ(メンタルコーチ)を学んでいくうちに、
不安やイライラを自分でコントロール出来るようになったのです。
自信がつき、自分責めをすることも無くなりました。
そして、ブレない心軸が出来たことで、子育てや人間関係に悩むことが無くなり、
ありのままの自分を受け入れることが出来るようになりました。
幸せな親子をふやしたいという思い
ストレスやイライラから解放されて、毎日がハッピーになりました。
すると、やりたいことがどんどん出て来るようになりました。
『自分の人生を歩みたい』、『幸せな親子を増やしたい』という思いが強くなり、
18年間務めた公立の保育士を退職し、
自分と同じように子育てに悩むママたちの120%味方になって、
丁寧にサポート出来るよう起業しました。
機能不全家族の連鎖を断ち切れた
子どもの時から続けてきた「良い子」を手放せたことで、
両親のことも許すことができました。
どんな自分も大切にできる心が育ったことで、
家族が円満になりました。
先祖代々連鎖してきた、機能不全家族を私の代で断ち切ることができました。
我が子に生き辛さを連鎖させずにすんだことが最大の喜びです。
自分の人生が歩めるようになったことで、
今はどんな出来事にも感謝することができるようになり毎日が幸せです。
私ができること
私はママの味方ハッピーメンタルコーチとして、
この学びとノウハウをお伝えします。
子育てのテクニックだけでなく、
イライラやネガティブ感情を長く引きずってしまうママに、
感情のコントロール方法や自分を愛し、子どもを慈しむ自慈愛をお伝えします。
ひとりでは現状を変えられなかった方でも、
私がバディとして丁寧にサポートするので心配いりません。
学んだことを習慣になるまで継続できないのは、
テクニックの内容だけでなく、メンタルも大きな要因です。
メンタルコーチとして、メンタルサポートも同時に行いますので、
着実に変化が出てきます。
私はあなたよりもあなたの可能性を信じます!!
子育ての悩みやママ自身の生きづらさの根本解決がしたい方は、
ご連絡ください。
基本オンラインでのコーチング、セミナー、
マインドフルネス自慈心カードセッションを行っています。
まずは、60分無料相談であなたの悩みを聴かせてください。
あなたに合った解決策をご提案いたします。
※東京都小金井市にお住まいの方は対面も可能です。